たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~④プッシュ!プッシュ!プッシュ!

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ
アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く

ひもじい思いで過ごした夜も開けた18日の早朝。
なかなか分娩本番に踏み切れない私のコンディションから判断し、点滴で入れていた無痛分娩の麻酔を止めつつ、促進剤を入れてお産を進めていくことになりました。

もう、この子をお腹から出さないと終わらないので、なにがなんでも産む方向で私も最後の力を振り絞るつもりで。

18日(火)に日付が変わり、担当してくれるナースや助産師さんも昨日の方から入れ替わりました。
すると、産前に何度か検診で診てもらったことがある、見覚えのある助産師さんが現われました。
その助産師さんの方も私を覚えていてくれて、なんだか一気に心強く感じたのを覚えています。

麻酔が弱まるとともに、蘇って来る陣痛の波。前日の麻酔前の陣痛よりも更にずっと痛いやつ。
その状態と子宮口の開きを確認しながら、助産師さんと昨日の研修医とナース、そして夫の立ち合いのもと、18日の朝からついに『プッシュ!』開始!

陣痛の波に合わせてプッシュ!
また波に乗ってプッシュ!
まだまだプッシュ!
これでもかとプッシュ!
体勢をかえてプッシュ!
ちょっとだけ休憩を挟んでまたプッシュ!

助産師さんの「頭はそこまできてる、もうすぐよ!」の言葉に励まされ、またプッシュ!
夫も横から、私の膝を抱えるのを手伝ってくれたりしながら~、さらにプッシュ!


でも、、、なかなか出ん。赤ちゃんはそこまで動いて来てくれてるのに。。。


昨日の入院から、まる1日、24時間が経っている。
もう私もヨレヨレになってきたし、腹筋が効かなくなってきてプッシュもしんどくなってきたぁ。。。

と、その頃、胎児の心拍が少し危険な兆候を示し始めたようで、ドクターが呼ばれました。
入室してきたドクターは、産道の様子とバイタルをチェックし、即座に緊急帝王切開の決断。
そのまま続けては、胎児が危ない状況だとのことでした。

私はあれこれ説明されるも、正直なところ何がなんだか考えるよりもとにかく「無事にこの子を出してくれるならハラキリでも何でもいいから、とっととやってくれ!」と思った。
緊急手術になるので、複数ページの契約書のような書類を渡されて、読んでサインしろと言われたけど、こんな促進剤での陣痛MAXでヨレヨレな時にそんなの読めない。
超高速でやってくる陣痛の合間合間に、自分のものとは思えない、文字通りミミズがはったようなサインをかろうじて指定枠内に書くのがせいいっぱい。何度もペンを止めながらもサインをして書類を返却しました。

そこから病室は、緊急帝王切開の手術へ向けての大急ぎの準備に切り替わり。
私はもうスマホを持ってメッセージなんて送れる状況ではなかったので、日本の私の両親には夫が状況を連絡してくれた。

普通分娩がうまくいかず、お腹を切る手術になったので、夫や夫の実家もとても心配してくれていたようだけど、私は正直なところ「これでなんとかなるのか...」と少し安心するのと、緊急の手術ってどうなるのか、子供は大丈夫なのか、、、が混ざった気持ちだった。

そして、あっという間に準備は整い、私は手術室へと送られて行きました。


ベッドに乗って、ガラガラ~っと病院の廊下をおされていく時って、ドラマや映画で見るような仰向けの視界に天井が流れていくかんじ、、、あれ、本当にそんななんだ、って手術室に向かいながら思いました。



次回へ続く。。。



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アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ

分娩室に移り、研修医が見学でお産に加わることになり、あとは私の体の準備が整うのを待つばかり...が、なかなかねぇ。。。
ここにきてもまた結構な時間がかかりました。

どんどん激しくずっと陣痛は続いているのに、なかなか始められない分娩。
プッシュ(いきむことが)が出来るようになるまで子宮口が開いたか、ナースや助産師がチェックに来るたび、「もうこんなに痛いんだから、開いていてくれー!」と祈ったものです。

最近では日本でも無痛分娩を選択する人もあるとは言え、麻酔無しの分娩が多いと聞きますが、アメリカでは無痛分娩の方が主流です。
私もそれに逆らうことは全く考えず、無痛分娩で出産する希望を予め伝えていました。
どれくらい経ったか、たぶん17日(月)の夜になる頃だったと思います。ついにエピデュラル(麻酔)を入れてもらえると、麻酔医登場。
助産師やナースと違い、麻酔の処置を無口に淡々と進める麻酔医になんだか"冷たさ"を感じながらも、「あ~、もう、どうぞどうぞお願いします。早く楽にしておくれ。」と、なされるまま背中を丸めて麻酔を入れてもらう私。
腰のあたりの背骨がひんやりする感覚に「こんな麻酔初めてだなぁ~」と思いながら。

麻酔の処置が終わり、再びベッドに横になり、またしばらくは痛みに耐えながら唸っていましたが、そのうち薬が効いてきたのでしょう、ウトウトしはじめました。。。


さて私のお産には、病院に到着してからも、ずっと夫が付きっきりでいてくれました。
廊下をウロウロするのも、分娩室に移動して子宮口が開くのを待つ時も。
夫は私のベッドの横に置かれたカウチベッドに腰掛け&横になり、一緒に17日(月)の夜を迎えました。

「時間がかかるもんだねぇ。今日中に生まれれば"71717"だけど、どうだろうね...」なんて話しながら。
外が暗くなり、病室も明かりを落として、廊下の光が入口から少し入って来る中、麻酔が効いて陣痛の痛みはウソのように楽になったけど、まだプッシュするまでの準備が整わない私の体。

「今日は忙しい」と聞いていたように、同じフロアの別の分娩室からは何度もプッシュする妊婦さんとそれをケアする助産師さんの声、そして生まれた子供の産声が、その夜だけでも数回は聞こえてきました。
それを聞くたび、「私のはまだかなぁ... いつまで時間がかかるんだろうか...」と思ったのです。

無痛分娩の麻酔を入れてからは、ペットボトルから水を飲むことも禁止されたので、水分摂取で許されたのは『氷のかけら』だけ。
エアコンで乾燥した病院の中で、痛みで疲れた体に「氷のかけらのみ」は、本当にひもじかった。。。
せめて、水をのませておくれ、なんなら糖分もあると嬉しいんだけど...と。
夜中に何度ものどが渇いてカラカラになり、その度に夫がカップを持ってクラッシュアイスをもらいに行ってくれました。

そんな夜中、一度だけもの凄く気持ちが悪くなる瞬間がありました。
その時夫はカウチで眠っていて、私はナースコールを押そうか押すまいか...と自分の様子をみつつ悩んでいました。
あぁ...これはなんだか変だ、具合悪いな...と思ったものの、、、そのうちスゥっと具合が戻り大丈夫そうになったので、ちょっと自分でも安心し始めた頃、ナースといっしょにドクターがやって来ました。
どうやら、私の血圧が異常に下がっていたようです。
麻酔をするとこういう事があるようですね。何がまずかったのか分かりませんが、ドクターが駆けつけて来た頃には正常値に戻ってきていたので、とくに処置などはなく事なきをえました。よかった。。。

氷だけではあまりにのどが渇いてひもじい私と、カウチベッドで寝心地が悪いうえに私に何度も「クラッシュアイスもらって来てくれ」と起こされる夫が過ごした入院一日目のこんな夜。
"71717"の淡い期待は実現することなく、哀しく過ぎ去っていきました。


次回へ続く。。。



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アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~産休そして陣痛で病院へ

こうして出産のために入院したのが、2017年7月17日の朝10時頃。
アメリカは日付を『月/日/年』の順番で記載するのが一般的なので、この調子でいくと誕生日は『7/17/17 = 71717』でなんか覚えやすいね♪なんて夫と言いながら。
しかも、自分にとっては人生初の「入院」。陣痛は痛いしこの先どうなるのか分からないくせに、「これは初体験ばかりで楽しみだ!」と、子供に会えること以外の事にも妙にワクワクしていました。

引き続き、陣痛室で定期的に子宮口の開きをチェック。
しかし、なかなか開きが進まないと言われ、産科フロアの廊下を散歩し運動することで促す作戦になりました。

陣痛室を出ると、周りにはいくつもの分娩室。そこを抜けて進むとフロアの真ん中にナースステーションがあり、その隣に新生児室(ガラス越しの部屋に新生児がプラスティックのベッドに入れられて並べられている部屋)がありました。
そこをぐるっと取り囲むように廊下があるので、そこを何周もぐるぐると散歩。
と言っても、陣痛の波がくる時は痛くて動けないので、壁の手すりにつかまって休憩し、波がおさまったスキにまた次の波が来るまで腰を抱えてゆっくり歩くかんじの、歩いては止まり...を繰り返す散歩。

新生児室に並ぶ生まれたての子供を見ながら、「もうすぐこんなふうに出てくるのか~。頑張ろうね!」とお腹に話しかけつつ...
廊下の途中で手すりが無くなるところは、「次の手すりまで辿り着くぞ!」と気合をいれつつ...
ナースステーション前や、他のお家のお見舞いの人や付きそいの人が廊下にいるときは、「痛いよーキツいよー」って顔は見せないように振舞ってみたり(←なんの見栄だか...)

そんな中、ちらほらと廊下で見かけたウルトラオーソドックスと言われる超敬虔なユダヤ教家族の姿。ロックランド郡にはこのような人達が住むコミュニティがあるので、日常的によく見かけます。
このような敬虔なユダヤ教の人達は、お産の時でも男性が妊婦さんの体に触れたり、分娩に立ち会ったりするのは禁止されているそうです。なので、医師・ミッドワイフ(助産師)・ナースはすべて女性でなければならないそうです。
そしてお産中は、妊婦さんのダンナさんは室外で待機。部屋の入口付近の廊下でウロウロしたりじっと待っている、「昭和のお父さん」を思い出すような方々を何人か見かけました。

そんなこんなしながら、この日にお世話をしてくれたナースの一人が、
「あなたみたいな初めての人には少ないけど、何度もお産を経験した妊婦さんの中には、"陣痛が始まった!と病院に着いて車椅子で産科までやって来たとき、何かスカートの下で動いてる?と思ったら、もう生まれてた!”って人なんかもいるからね~♪」
なんて、教えてくれたのが、廊下ウロウロの私の頭の中を巡り、、、
そんな安産ならいいよなぁ...と思いながらも、廊下で急に破水して一気に出てくるとかなったらどうよ!?焦るだろーな!なんて妄想を繰り返したものです。

歩いて子宮口をチェックしてまた歩いて...と繰り返し、すぐに分娩とはいかないまでも状態が近づいて来て部屋の準備もできたということだったので、荷物を持って分娩室へ移動。

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写真用の笑顔がキツくなってきた... 破水に備えて、常に吸水シートの上に座る&寝かされる


部屋はトイレ・シャワー付きの広い個室で、窓がある普通の病室のようなかんじ。
日本で行きつけだった婦人科が、おじいちゃん先生がいる古い小さな病院だったせいか、あの冷たいイメージの分娩台をイメージしていたけど、全然違いました。
シャワーは、分娩の本番を迎える前に使っても良いと、ナースから普通に言われたけど、朝自宅でシャワーは済ませられたし陣痛激しくなっているしで結局使いませんでした。(あんなに痛い中、アメリカではみんなシャワーするんかな...)

そうしていると、この日の私のお産を担当してくれるというミッドワイフ(助産師さん)が、若い研修医の男性を連れてやって来ました。
なんでも、この研修医の実習のため、私のお産を見学させて欲しいと。
この日、産科はとても混み合ってたくさんのお産予定が入っていたようですが、敬虔なユダヤ教の方達も多かったため、なかなか男性研修医の立ち合いをOKしてくれる妊婦さんがいなかったそうです。
こっちはもう常に痛いし、とにかく無事に出産を終えられるなら何をされても"まな板の上の鯉"の気分だったので、全く問題なく承諾。私のお産チームにメンバーが一人増えました。

たしか時の頃は17日(月)の早い午後。
聞いていた通り、ご飯も与えられないし(痛くて食べるどころじゃないけど)、飲み物も小さいペットボトルの水をチビチビと飲むだけ。
分娩本番に突入できるくらい子宮口が開くまで、まだもう少し様子見が続きました。


次回へ続く。。。

 

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アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

アメリカでは、働く妊婦さんがいつからいつまで産休をとるかは、その人によって本当にまちまち。
出産前日まで仕事をしたという人もいれば、早々にお休みに入る人もいる。そのタイミングは仕事環境や業務の影響もあるけど、もちろん、産前の母子の体調によっても左右されるので、それらを考慮して妊婦さんそれぞれが時期を決めているという印象です。

私は幸い、悪阻も重症にならず母子ともに健康でスムーズな妊娠期間だったおかげで臨月まで仕事をしましたが、片道1時間半以上かけての電車&バス通勤のため大事をとって、出産予定日だった7月25日の3週間前、ちょうど7月4日のアメリカ独立記念日の祝日から産休に入らせていただきました。

その少し前、6月の下旬にはお友達が企画してくれたベビーシャワーも済ませ、皆にお祝いと激励をしてもらい、あとは元気に産まれてくれるのを楽しみに待つのみ、という雰囲気で。

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産休に入ってからは、家でのんびりしつつ、近所のストリートフェアに散歩がてら出掛けてみたりの日々。

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暑さと腰痛を軽減するため、何度か近所のお友達のプールに浮かびに行ったりも。田舎の井戸水にプカプカ浮かべて冷やされるスイカ状態で。


伸び放題だった髪の毛を、もっと早めに切りに行っておけばよかったかなぁ... 臨月の大きいお腹じゃ美容室行くのしんどいかな... 産後は一気に忙しくなって美容室にも行く暇ないって聞くしなぁ... なんて、今思えば呑気な事を考えたりしながら。

たしか、陣痛が始まって病院へ向かうことになった前日も、予定日までまだ1週間以上あるしと余裕の気持ちでお友達宅のプールに浮かびに行っていていました。
お産が近づくとお腹の出っ張りが下がってくるそうですが、私のはまだ"上"の方にあるままだったし、友達にも「まだまだお腹MAXサイズまでは達してなさそうね♪これからラストスパートね♪」なんて言われ、あと1週間くらいで出産なのかぁ~♪と思っていました。

臨月に入ってよく"張る"ようになったお腹が、時折「前駆陣痛」と思われるグイグイした痛みを感じるようなっていた頃でもあります。
その日の夜中もその張りとグイグイがやってきて、「さすがこの兆しも活発になってきた感じだな....」とベッドで横になってそれがおさまるのを待っていましたが、、、どうもおさまらない。
おや?と感じ、「えぇ~っと、このグイグイのタイミングと間隔をチェックするには...」と暗闇の中でスマホを片手に時間を計る。
しばらくしても止まないグイグイに、そうなのかも?と思い、ひとまず眠っていた夫を起こして状況を伝えたのが未明の午前3時くらい。

そこからは「今日、入院かも」に備えて、グイグイするお腹を抱えてまずはシャワーを浴びて着替えをし、あとはスマホの充電器を入れるだけまで予め準備していた入院時用の荷物を確認して玄関まで移動し、引き続きグイグイの間隔をチェック。

夜明けに外が明るくなってきた頃、グイグイは結構な痛みになりながら、間隔はまばらなもののコンスタントに狭まっていました。
その日は月曜日。夫は早朝から職場のボスに連絡を取り事情を伝えてお休みをもらい、少し前から車に設置していたチャイルドカーシートを最終チェック。これをつけていないと、お産後に病院から子供を連れて帰らせてもらえないので。

私の方はというと「入院したら出産するまでご飯食べられないから、病院に行くまでに食べられる物を食べておいた方が良い」と、どこかで聞いた言葉が頭をよぎる。
それはイカン!長丁場に備え腹ごしらえを!と、ちょうどあった残り物のマカロニサラダを、襲い来るグイグイの痛みの波間に口に運ぶ。
マカロニをもぐもぐ...
痛みに悶える...
マカロニをもぐもぐ...
痛みに悶える...

そんなことをしているうちに、グイグイの痛みがコンスタントに5分に1回、1分間程続くようになったので、夫に病院に連絡してもらう。

夫(電話中):
『陣痛が始まりました。はい、初めての出産で、言われていたように5分に1回が続くようになったので電話しました。病院に向かって良いですか?』

陣痛が来たからと焦って病院に先走ってしまっても、まだ陣痛の間隔が不十分な場合はそのまま追い返されることもあるそうです。
陣痛がコンスタントに来ていても、病院でまだ子宮口の開きがお産に程遠いと判断された場合は、一旦自宅へ返されることもあると聞いています。
なので、破水や異常が無い限り、まずは病院へ連絡して指示に従うのです。

夫:
『はい、大丈夫です。
いえ、まだ破水はしていません。
えぇ、いま家で、陣痛の合間にご飯食べています。
・・・あぁ、そうですか。では、また連絡します。』

私:
『もう...病院向かって良いって?もうだいぶ痛いの続いているよぉ、、、(悶えつつ)』

夫:
『いや、まだ来るなって。陣痛の間隔は伝えたけど、"食事ができるくらいなら、まだまだ早いわ。もう少し間隔をみながらまた連絡して。"って。』

私:
『ぬぬぬ....。マカロニサラダ食ったがために、陣痛が軽いと思われてるのか?』


ちゃんと痛いのに受け入れてもらえないなんて...
これはもっと長丁場になるんじゃねぇのかと懸念し、どうせ入院させてもらえないならと思い、そこからまた短くなってきた陣痛の波間にシリアル(コーンフレーク)をかき込みながらヤケクソのエネルギー補給をして時を待ちました。


そして、陣痛の間隔がもうそろそろ3分おき程になってきた頃、再び病院へ連絡。
今度は「じゃあ来てください」の返事を貰い、車に乗り込み病院へ向かったのでした。

病院は我が家からちょこっとハイウェイに乗って15分ほど。
一旦入院受け入れを断られたおかげ(?)で、朝の通勤ラッシュ時刻を過ぎた午前10時頃だったので、映画のシーンにありそうな、大渋滞に巻き込まれて「う、産まれるー‼‼‼」な事態は避けられて少し安心。
でも、念のためで、助手席で3分おきに悶える私のおしりの下にはバスタオルを敷き(破水に備えて)、夫はできるだけ道の凸凹を避けての運転。
ハイウェイ乗り口のランプ(カーブ)の遠心力が、とってもキツかったのを思い出します。

こうして到着した病院は、ロックランド郡の総合病院。
メインの入口をヨタヨタと進んで受付カウンターにもたれかかり、痛みに耐えながら「陣痛が始まったから出産で来た」と伝えると、陽気な受付係に「それにしちゃ、しっかりしてるね!がんばれよぉ!車椅子を用意しようか?」と言われたのに、なぜかそれを断り産科まで歩いて到着。
なんか...もうだいぶ痛かったので「拙者、それには及ばぬ!」なおかしなやけくそテンションになっていた気がします。

産科のカウンターでは受付を済ませ、陣痛室へ案内されました。
陣痛室は、ベッド2つがカーテンで仕切られた、小さな相部屋状態の場所でした。
まずは子宮口の開き具合のチェック。
「開きが少なければ一旦帰宅してもらうかも」と言われたけど、どうにか病院に滞在できる程の開き具合はパスできたので、指示通りに渡された病院のガウン(入院着)に着替え、分娩の時までそこで過ごすこととなりました。

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陣痛室でお着替え後。陣痛ですでに痛いけど、写真用にまだこんなことできるのは余裕があるってこと、いま思えば。この後、もっと大変になってくることなんて知らない私...





次回へ続く。。。

 

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家籠り約4ヶ月、ショッピングモール再開ともうすぐ3歳の息子

NYC郊外のこのあたり、ハドソンバレーでは今日からショッピングモールが再開すると、朝のローカルニュースが伝えていました。
その映像には、ここロックランド郡のPalisades Centerというショッピングモールの様子が。
Palisades Centerのことを「ダークトンネル (dark tunnel)」と呼ぶ息子は(おそらく、暗くて広い地下駐車場にいつも車を停めるからだと思う)、久々にニュースの映像で見るモールの姿にエキサイトして「ダークトンネルだ!行こう!」と嬉しそうにしていた今朝。

いやぁ~、残念ながらたぶんすぐには行かないねぇ。父ちゃん母ちゃん、買い物する用事もないし、、、寒い季節はしゃーなしで君の散歩のためにモールへ行ったけど、、、コロナ明けすぐはねぇ、人が殺到して混んだりすると嫌だし、、、
と、息子に微笑みかけつつ心の中で言うておりました。


NY州のロックダウンが始まって4ヶ月。
家籠りの私も、これまでになく息子と毎日たっぷり触れ合い向き合っているので、この間に彼の様々な成長を目の当たりにすることができました。

電気のスイッチに手が届くようになったり、
ブロックの組み立てもバリエーションが増えたり、
読める文字が増えたり、
服を自分で着るようになったり、
ボタンも留めてみたり...

初めて○○した瞬間に立ち会えるのは、家にいて育児をする醍醐味だなんてことも感じています。
今更のようなこんな気づきも、家で過ごす時間のおかげだと。

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父ちゃん調達、お揃い甚平。ポケットにスマホ入れるのも父ちゃんの真似っこ♪


さて、そんな息子も、まもなく3歳。
まわりからアドバイスされたように、子供の成長はあっという間に過ぎてきた気がします。

ということで、出産から3年経った今頃になってですが、明日の投稿から連続で記憶を辿りながら「3年前の出産の思い出」を書こうかと思います。
息子のバースデーに絡めた企画として。

私の他愛ないお産の思い出話ですが、お付き合いいただけると幸いです。
では、また明日♪

 

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何事もホドホドとは良く言ったもの

己のたるみ具合の酷さに愕然とし、早朝のご近所ウォーキングと室内での簡単な筋トレを始めて2週間ほど。
ウォーキングは時折サボる日があったもののボチボチと続け、筋トレは種類やセット回数を増やしたりしつつ、毎日なにかしらやるようにしています。

開始以前がよほど酷かったんでしょうね。1週間もやってるうちに、自分のお腹あたりを見下ろす風景に違いが見られました。
「引き締まる」とか「スッキリ!」にはまだまだ程遠いものの、早くも様子が変わったのが分かります。
夫曰く、脚腰に筋肉感とハリが出てきたと。おだてりゃ木に登る猿タイプの私のために言ってくれるのかもだけど、ここはポジティブに受け止め励みにしています。

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隙間時間筋トレ。微笑ましいクオリティタイムのように見えるが、息子はオジャマ虫。真似っこの息子と散乱する彼のおもちゃに囲まれて。

今のこんな調子からは想像し難いことだけど、日本にいた頃は仕事前に"パワーヨガ"をやってみたり、近所の河川敷をジョギングしたりしていました。
飲み会の次の朝でも"沈没"していなければ走りに行ってみたりと、よくやっていたもんです。

しかし、ある日からジョギングができなくなりました。
ことの発端は飲み会の夜(←やっぱ飲み会か)
その夜は"ハシゴ"してまして、友達が待つ二軒目にちょっと急いで向かっていたんですよ、小走りで。
広島の飲み屋街はよくウロチョロしていたので、二軒目への近道に小さい路地を通り抜けようとした時、暗い道の舗装にあったくぼみに足をとられてしまい、ハイヒールで捻挫してしまったのです。(ヒール履いとる日に飲んで走らんほうがええよ。)

痛いとは思ったものの、友達を待たせちゃいかんという気持ちと、お酒で出来上がってた良い気分が勝り、そのまま二軒目へ向かい楽しく飲んで夜が明けたのです。
翌日、目が覚めてびっくり(←酒の話によくあるフレーズ)
あしくびは腫れているし、けっこう痛い。
念のためで病院で診てもらい「捻挫」で済みましたが、朝のジョギングはとうぶんお休みすることとなりました。

それからだいぶ経って、あしくびも完治し、久々にジョギングへ向かった日のこと。
しばらくの運動ブランクが膝にきてしまいました。
子供の頃にやっていたスポーツでもよく膝を痛めていたし、医者に聞くところによると私の膝関節の繋がり方は「比較的痛めやすいタイプ」らしいので、そういうことのようです。

気合入れてお風呂の掃除を!とやり始めると、ブラシを持つ手の皮が剥けてきていることにも気づかず、一心にゴシゴシし続けて、あとになってケガに気づいたり、、、
ゲームの"太鼓の達人"で頑張り過ぎて、終わってみると、バチと指輪の間に挟まれ続けていた指の部分がケガをして、掌が血まみれになっていたり、、、
どうも夢中になると私は、痛みに気が回らないというか、加減が分からなくなるようです。
ということで、それ以来、何かにつけて弱点の膝に関しては無理をしてはいけないと、気を付けるようになりました。この歳でトホホ...ですが。

なので、今も外に出たら走りたいのはやまやまだけど、その気持ちはグッと我慢し、よいしょよいしょとウォーキングから始めているのです。膝を守るためには大腿筋を鍛えると良いそうなので、スクワットなども筋トレに取り入れつつ。

家籠りが終わり通勤が再開すると、朝の運動時間はとり難くなりそうですが、その時はまたその時で時間割を考えるとします。
この家籠り中、自分の体メンテも大事だと痛感したので、ひとまずはできる時にできる運動を続けていこうと思っています。

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庭の赤紫蘇でジュース+おまけ

あんなに小さくてこっそりだった新芽が、今では野菜達に追いつけ追い越せで畑中にはびこる赤紫蘇。

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昨年、土の中に自然に巻き散った種からどんどん発芽したので、そこら中にぐんぐんと伸びてきて、他の野菜の足元を覆っています。

でも、良いの良いの♪
我が家にはこの赤紫蘇を楽しみにしていた人がいる(=夫)。

昨年、大きくなった赤紫蘇を使って『赤紫蘇ジュース』(希釈タイプ)を作ったところ、えらく気に入った夫。
私が作ったぶんを全て飲み干し、しまいには自分でもレシピを探して作っていたくらい、赤紫蘇ジュースが好きになったみたい。
ただ、自分で見つけたのは希釈しないタイプだったらしい。それよりも希釈タイプがよかったようで、春先から「今年も赤紫蘇ジュースを是非また作ってくれ!」と言われていたのです。

これくらい育てばもう十分でしょう!
赤紫蘇の根元は少し残して、上の方を摘んで収穫。

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鮮やかで元気な、摘みたての赤紫蘇♪

洗って葉っぱのみを鍋に入れてグツグツと・・・
そして、葉っぱをのぞいた煮汁にけっこうな量のお砂糖を投入!日持ちさせる希釈シロップタイプなので。

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酸味は、アップルサイダービネガーを使いました。
濃紺だった煮汁がお酢を入れたとたんに、ぱぁ~っと赤く変化。調理ってサイエンス♪

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庭で採れた甘みしっかりのスナップエンドウと、今年の初物きゅうり等々をのせた、具沢山おそうめんでの七夕ディナーだった昨夜。
出来立ての赤紫蘇シロップをソーダ割にして、さっぱりシュワシュワ~のドリンクにして添えました。
色がキレイです♪

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夫は、冷え冷えの焼酎の水割りにトロリと加え「梅干し入りのみたい♪」と、さっそく今年の赤紫蘇も楽しんでくれていました。
赤紫蘇シロップ、たっぷり作ったので、しばらくはこれで凌げるだろう。。。


おまけ:
赤紫蘇の煮汁をとった"出がらし"は、刻んで炒めて麺つゆ+みりん、ゴマ&鰹節。
ズボラな私の強い味方、ご飯のお供に作り変えて、余すとこなくいただきます♪

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