たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~④プッシュ!プッシュ!プッシュ!

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ
アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く

ひもじい思いで過ごした夜も開けた18日の早朝。
なかなか分娩本番に踏み切れない私のコンディションから判断し、点滴で入れていた無痛分娩の麻酔を止めつつ、促進剤を入れてお産を進めていくことになりました。

もう、この子をお腹から出さないと終わらないので、なにがなんでも産む方向で私も最後の力を振り絞るつもりで。

18日(火)に日付が変わり、担当してくれるナースや助産師さんも昨日の方から入れ替わりました。
すると、産前に何度か検診で診てもらったことがある、見覚えのある助産師さんが現われました。
その助産師さんの方も私を覚えていてくれて、なんだか一気に心強く感じたのを覚えています。

麻酔が弱まるとともに、蘇って来る陣痛の波。前日の麻酔前の陣痛よりも更にずっと痛いやつ。
その状態と子宮口の開きを確認しながら、助産師さんと昨日の研修医とナース、そして夫の立ち合いのもと、18日の朝からついに『プッシュ!』開始!

陣痛の波に合わせてプッシュ!
また波に乗ってプッシュ!
まだまだプッシュ!
これでもかとプッシュ!
体勢をかえてプッシュ!
ちょっとだけ休憩を挟んでまたプッシュ!

助産師さんの「頭はそこまできてる、もうすぐよ!」の言葉に励まされ、またプッシュ!
夫も横から、私の膝を抱えるのを手伝ってくれたりしながら~、さらにプッシュ!


でも、、、なかなか出ん。赤ちゃんはそこまで動いて来てくれてるのに。。。


昨日の入院から、まる1日、24時間が経っている。
もう私もヨレヨレになってきたし、腹筋が効かなくなってきてプッシュもしんどくなってきたぁ。。。

と、その頃、胎児の心拍が少し危険な兆候を示し始めたようで、ドクターが呼ばれました。
入室してきたドクターは、産道の様子とバイタルをチェックし、即座に緊急帝王切開の決断。
そのまま続けては、胎児が危ない状況だとのことでした。

私はあれこれ説明されるも、正直なところ何がなんだか考えるよりもとにかく「無事にこの子を出してくれるならハラキリでも何でもいいから、とっととやってくれ!」と思った。
緊急手術になるので、複数ページの契約書のような書類を渡されて、読んでサインしろと言われたけど、こんな促進剤での陣痛MAXでヨレヨレな時にそんなの読めない。
超高速でやってくる陣痛の合間合間に、自分のものとは思えない、文字通りミミズがはったようなサインをかろうじて指定枠内に書くのがせいいっぱい。何度もペンを止めながらもサインをして書類を返却しました。

そこから病室は、緊急帝王切開の手術へ向けての大急ぎの準備に切り替わり。
私はもうスマホを持ってメッセージなんて送れる状況ではなかったので、日本の私の両親には夫が状況を連絡してくれた。

普通分娩がうまくいかず、お腹を切る手術になったので、夫や夫の実家もとても心配してくれていたようだけど、私は正直なところ「これでなんとかなるのか...」と少し安心するのと、緊急の手術ってどうなるのか、子供は大丈夫なのか、、、が混ざった気持ちだった。

そして、あっという間に準備は整い、私は手術室へと送られて行きました。


ベッドに乗って、ガラガラ~っと病院の廊下をおされていく時って、ドラマや映画で見るような仰向けの視界に天井が流れていくかんじ、、、あれ、本当にそんななんだ、って手術室に向かいながら思いました。



次回へ続く。。。



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