たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ

分娩室に移り、研修医が見学でお産に加わることになり、あとは私の体の準備が整うのを待つばかり...が、なかなかねぇ。。。
ここにきてもまた結構な時間がかかりました。

どんどん激しくずっと陣痛は続いているのに、なかなか始められない分娩。
プッシュ(いきむことが)が出来るようになるまで子宮口が開いたか、ナースや助産師がチェックに来るたび、「もうこんなに痛いんだから、開いていてくれー!」と祈ったものです。

最近では日本でも無痛分娩を選択する人もあるとは言え、麻酔無しの分娩が多いと聞きますが、アメリカでは無痛分娩の方が主流です。
私もそれに逆らうことは全く考えず、無痛分娩で出産する希望を予め伝えていました。
どれくらい経ったか、たぶん17日(月)の夜になる頃だったと思います。ついにエピデュラル(麻酔)を入れてもらえると、麻酔医登場。
助産師やナースと違い、麻酔の処置を無口に淡々と進める麻酔医になんだか"冷たさ"を感じながらも、「あ~、もう、どうぞどうぞお願いします。早く楽にしておくれ。」と、なされるまま背中を丸めて麻酔を入れてもらう私。
腰のあたりの背骨がひんやりする感覚に「こんな麻酔初めてだなぁ~」と思いながら。

麻酔の処置が終わり、再びベッドに横になり、またしばらくは痛みに耐えながら唸っていましたが、そのうち薬が効いてきたのでしょう、ウトウトしはじめました。。。


さて私のお産には、病院に到着してからも、ずっと夫が付きっきりでいてくれました。
廊下をウロウロするのも、分娩室に移動して子宮口が開くのを待つ時も。
夫は私のベッドの横に置かれたカウチベッドに腰掛け&横になり、一緒に17日(月)の夜を迎えました。

「時間がかかるもんだねぇ。今日中に生まれれば"71717"だけど、どうだろうね...」なんて話しながら。
外が暗くなり、病室も明かりを落として、廊下の光が入口から少し入って来る中、麻酔が効いて陣痛の痛みはウソのように楽になったけど、まだプッシュするまでの準備が整わない私の体。

「今日は忙しい」と聞いていたように、同じフロアの別の分娩室からは何度もプッシュする妊婦さんとそれをケアする助産師さんの声、そして生まれた子供の産声が、その夜だけでも数回は聞こえてきました。
それを聞くたび、「私のはまだかなぁ... いつまで時間がかかるんだろうか...」と思ったのです。

無痛分娩の麻酔を入れてからは、ペットボトルから水を飲むことも禁止されたので、水分摂取で許されたのは『氷のかけら』だけ。
エアコンで乾燥した病院の中で、痛みで疲れた体に「氷のかけらのみ」は、本当にひもじかった。。。
せめて、水をのませておくれ、なんなら糖分もあると嬉しいんだけど...と。
夜中に何度ものどが渇いてカラカラになり、その度に夫がカップを持ってクラッシュアイスをもらいに行ってくれました。

そんな夜中、一度だけもの凄く気持ちが悪くなる瞬間がありました。
その時夫はカウチで眠っていて、私はナースコールを押そうか押すまいか...と自分の様子をみつつ悩んでいました。
あぁ...これはなんだか変だ、具合悪いな...と思ったものの、、、そのうちスゥっと具合が戻り大丈夫そうになったので、ちょっと自分でも安心し始めた頃、ナースといっしょにドクターがやって来ました。
どうやら、私の血圧が異常に下がっていたようです。
麻酔をするとこういう事があるようですね。何がまずかったのか分かりませんが、ドクターが駆けつけて来た頃には正常値に戻ってきていたので、とくに処置などはなく事なきをえました。よかった。。。

氷だけではあまりにのどが渇いてひもじい私と、カウチベッドで寝心地が悪いうえに私に何度も「クラッシュアイスもらって来てくれ」と起こされる夫が過ごした入院一日目のこんな夜。
"71717"の淡い期待は実現することなく、哀しく過ぎ去っていきました。


次回へ続く。。。



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