たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~⑥人生で一番痛い

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ
アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く
アメリカ出産思い出話~④プッシュ!プッシュ!プッシュ!
アメリカ出産思い出話~⑤緊急オペ、母子ともに危険


夫の話によると、手術室からERそばの待機部屋へ移されてきた私は、なかなか哀れな様子だったらしい。

写真だけ見ると...ちょっとコミカルだし、あまりにヨレヨレで酷い姿なのでブログに載せてよいものやら?と思ったのだけど、、、
手術室からの生還。

f:id:RockinWasabi:20200714055857j:plain

生気ゼロ。
ほんまにガタガタ震えていたので、頭までタオルやらなんやらで包まれていました。

(にしても、なんでこの瞬間の写真を撮っていたのだろうか?私が撮ってくれと頼んだらしいのだけど、覚えてない。)

夫と、お見舞いに来てくれた夫の両親に再会し、安心しました。
この部屋に運ばれて少しの間眠りについたようです。。。


私が手術室から出てくるまで、昨日からの付き添いでの疲れと、「子供も嫁も喪うかもしれない....」という心配で、夫のストレスは大変なものだったと思います。
自分は一人廊下で待つように言われ、二人ともが危険らしいがどうなるのか分からない状況だったのですから。
後に、夫はこのERそばの待機室で待つよう言われ、ここで座ってまっていたそうですが、あまりに心配でストレスになっている様子を産科受付スタッフさんが気にかけて下さり、「ずっと何も食べてないんでしょ。ご飯をオーダーしたから食べて落ち着いて。」と、食事を用意してくれていたそうです。
ハンバーガーとポテトのプレートとドリンクだったそうで、夫は食べる気分では無かったそうですが、私の戻りを待つ間にちびりちびりとポテトをつまんでいたと言っていました。


タオルと毛布に包まれた眠りから私を目覚めさせたのは、迫りくる激痛でした。
寒さと震えはおさまっていたけど、今度はあまりの痛さで眠ってなんかいられない。
陣痛以来、再びの悶えにタオルも毛布も邪魔くさい。包まっていたのを全てはぎ取って痛みにのたうち回る時間がはじまりました。

ハラキリ手術の麻酔が切れてきたのでしょう。お腹周りが陣痛よりも痛い、後にも先にも、私の人生で一番痛い時間。
部屋はいくつかのベッドが並ぶ相部屋。それをカーテンで仕切ってあるだけなので、隣やそのまた隣から、他の妊婦さんやご家族の話し声も聞こえます。
初めはそれも気にかけて、唸り悶え苦しむ声も押し殺そうとしていたけど、あの激痛ではとうてい無理。
冷や汗で息も苦しく、会話なんてできないし、気を失いそうなくらいの激痛です。自分では痛みには強い方だと思っていたけど、これは全く別物のレベル。

ナースコールで痛み止めをお願いし、モルヒネを持って来てもらえました。
モルヒネは点滴のようなかんじでセットされ、5分以上の間隔をあけて押すと注入される仕組みになったボタンも手元に置かれて。
激痛に耐えながら「次のモルヒネショットまで5分待つ」のの長いことといったら。
しばらくの間はなかなか痛み止めの効き目も出て来ず、「効いてなよー!もっときついのもらいたいー!」と夫にグチりつつ、手元のスマホで時間を確認しながら繰り返しボタンを押していました。

そして、まだまだ激痛が続く中、産後の"後処理"をしに、とやってきたナース。
激痛に悶える私の縫合した傷口を確認し、そして下っ腹をぎゅーーーーー‼‼‼
あぁーもう、3年経った今でも思い出しただけで痛い。。。
その瞬間、"あー!"も"うー!"も出ない。声すら出せない痛さにただただ悶絶しました。

英語にpainよりももっと酷い痛み&苦しみを表す言葉で、"agony"って単語があります。
この時の体験は、紛れもなく"agony"、なんなら"extreme agony" "absolute agony" "insane agony" でした。


続く激痛の疲れと、ナースの処置にトドメをさされ、私はベッドの上で苦しむだけの廃人になってしまいました。

そして徐々に、やっとモルヒネが効き始めたようで、寝ぼけたような感覚で夫と少しお喋りをしてまた少し眠りについたそうです。
その時の私、少し"ハイ"だったようですが、自分では覚えていません(笑)
どうせならこの時の動画でも撮っておいてくれればよかったのに.... さっきの頭にタオル巻かれた姿じゃなくて。

どれだけ眠ったのか分からないけど、少ししてまた目が覚めた時には、激痛も感じることなく体はやっと落ち着いてきていました。

これが恐らく、入院2日目、18日(火)の夕方のこと。
やっとここから個室の病室に移動します。

ここまで自分のことばかり書きましたが、肝心な我が子はというと、手術室から連れ出されて以来、NICU(新生児集中治療室)でケア中。
個室へ移動する途中、NICUを経由してもらい、そこで改めて我が子に対面することとなりました。


続きは次回。。。

.......................................................................... 

いつも最後まで読んでいただきありがとうございます。
↓ ブログランキングへの参加を始めたので、ぜひ1クリックして応援をお願いします!

にほんブログ村 海外生活ブログ ニューヨーク情報へ
にほんブログ村