たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~⑤緊急オペ、母子ともに危険

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ
アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く
アメリカ出産思い出話~④プッシュ!プッシュ!プッシュ!


胎児の状態が危険になってきたため、緊急帝王切開に切り替わったのは、入院から丸一日を過ぎたとき。
オペの準備が早急に整えられ、私は手術室に運ばれて行きました。

ここから先は、まな板の鯉どころか、マグロ。
いきみ続けた腹筋と足腰はヨレヨレ。ベッドから冷たい手術台にゴロンと移され、丸裸に再び色んな物をつけられ麻酔を開始。
胸から下は布の仕切りで見えなくて麻酔が効いてきているけど、胸から上は普通なので、周りも見えるし手術の様子も聞こえてくる。
仕切りの向こうの体に痛みは無いけど、何かされている感覚はある。不思議なかんじだったなぁ。

手術着にマスクとキャップを付けた夫が、仕切りのこちら、私の横にいてくれた。
「どんなかんじ?」「もう切開したのかなぁ?」「あ、なんか出されてるかんじ」
と、夫と会話をしながら手術が進み、

仕切りの向こうの様子と、お腹あたりでの「出た」感覚で、赤ちゃんが取り出された瞬間が分かりました。
そして向こう側からの声で、「男の子ですよ!」と。

私は、あぁやっと生まれてくれた!よかった!と思いながら、横の夫には「あはは、残念だったね。男の子だってさ。」と。
我が家は、産まれるまで子供の性別は敢えて知らないようにしていて、夫は女の子を望んでいたから。

でも...
あれ?泣かない...ね。

「ねぇ、静かだね。泣かないね。」

"オギャー!"っていうのを予想していたのに反して、手術室は静かで、仕切りの向こうからは引き続きの処置の音が聞こえるだけ。

何?どうしたの?赤ちゃんもうどこか連れて行かれたの?そこには居ないの?

横の夫も同じことを考えていたと思う。
その静かな時間はとてつもなく長く、不安で、心配でしかたなかった。たぶん、1、2分間の事だったのだろうけど。


そして、急にやっと聞こえて来た"オギャー!"の声。
仕切りの向こう側にいたのか、そしてやっと泣いてくれた...と、ほっとしました。

分娩でいきんでそこまで来ていたのに、なかなか出て来てくれなかったのは、胎児の首に臍の緒が二重に巻き付いてのが原因。
いくらプッシュしてもひっかかって出てこれなかったみたい。


まだ手術台に横たわったままの私でしたが、ナースが臍の緒を切っておくるみに包んだ生まれたての息子を私の胸元まで連れて来てくれて、やっとご対面。
朦朧とした仰向けのまま、こんな"小さなふにゃふにゃ"をどうやって抱いたら良いのか...落とさないように、壊さないように... と思いつつも、
こんなに"大きくてしっかりの赤ちゃん"がお腹の中にいたのか... これ本当に私から出てきたんだよね...  と、ごちゃ混ぜの妙な気持ちになりました。

"涙で赤子を抱くお母さん"をお産のシーンなどで見てイメージしていたけど、私はそんなかんじじゃなかったなぁ... 頭がぼぉ~っとしていたからか、涙の感動シーンにはなりませんでした。とても嬉しくはあったけど。

楽しみにしていた子供の姿を眺める時間もつかの間、
臍の緒を切ったのに再び呼吸を止めた息子。胸元で抱いていた我が子はナースに取り上げられて、急いでNICU(新生児集中治療室)へ送られて行きました。

同じ頃、仕切りの向こうで続いていた術後の処置の様子が慌ただしくなってきて、手術台がギシギシと揺れ、お腹周りが圧迫されてマッサージされているのを感じました。横にいた夫の表情がどんどん緊張してくるのも分かりました。
自分では何が起きているのかさっぱり分かっていなかったけど、付き添ってくれている夫にこれ以上辛い心配を負わせてはいけないと思い、「私は大丈夫だよ!動けない以外はほら、なんともないから!すぐに終わるよ!」と夫に話しかけて励まそうとしていたのを覚えています。

ほどなくして再びナースが仕切りのこちらに現れ、夫は手術室から出るよう告げられ、たぶん私に「がんばれよ!外で待ってるから。」みたいなことを言って退室して行ったと思います。
私はだいぶ朦朧としていたので事態が理解できていなかったけど、後で聞くところによると、私の出血が止まらず危険になっていたそうです。

生まれた子供は息をしないからNICUへ、嫁は出血が止まらず自分は手術室から追い出され...
どちらもどうなるか分からない、どちらにも会えない、独り廊下で待たされた夫は気が気じゃなかったと思います。

続く腹部のマッサージと処置、私は全身がどんどん寒くなり震えだし、意識が少しずつ遠退き始めました。
そんな中、手術室にいた一人のスタッフ(この日の麻酔医だったかな?)が傍に寄って来て、私の名前は何か?と訊いてきます。
体が重く意識もぼぉ~としていた私は「何を今更聞くのか?」と思いながら自分の名前を答えました。
続いてその医師は、「それはどこの国の名前?」「どんな意味がある名前?」と質問攻め。
声を出すこと、喋る気力も無くなっていたので、「答えるのしんどいよぉ~。こんな時になに~?放っておいてくれ~。」と思いながらも、「日本の名前」「同じ名前でもつく漢字によって意味が変わるんだ」「私の感じの意味はウンダラカンダラ...... 」
律義にお答えしました。
今思えば、話しかけ続けることで私の意識を確認していたのかな...と思うけど、その場ではとってもダルいとしか思わなかった。なんとか答えたのも、うわ言のようだったかもしれません。

そうこうしていると、処置が無事に終わっていったようで、震えが止まらない私の体がやっとガウンや毛布で包まれていくのを感じました。
その頃にはもう、目を開けているのもままならず、目を閉じて再びなされるがまま。

一瞬眠ったのでしょうね、次に気づいた時には、震える体を頭にまでタオルを被された状態で包まれ、術後の経過を見るための仮の部屋へ搬入された時でした。
そこで待っていた夫と、夫の両親と、再開です。


容態が急変すればすぐに対応できるよう、ER(救命救急室)入口の向かいに位置した小さい相部屋スペースでした。
夫たちに会えて気持ちは安心するも、体は寒いまま。
体が勝手にガッタガタと震えるのを感じながら... 少しずつ落ち着くにつれ、再び私は少し眠っていたようです。

そして目覚める頃には、またひとヤマ試練がやってくるのでした。

 

次回へ続く。。。

 

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