たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

アメリカ出産思い出話~⑧帝王切開産後の入院3日間

※2017年にロックランド郡NY州で息子を出産した時のことを書いた思い出話です。

前回までの話:
アメリカ出産思い出話~①産休そして陣痛で病院へ
アメリカ出産思い出話~②廊下をぐるぐるウロウロ、分娩室へ
アメリカ出産思い出話~③氷のかけら、期待のかけら、長丁場に消えて行く
アメリカ出産思い出話~④プッシュ!プッシュ!プッシュ!
アメリカ出産思い出話~⑤緊急オペ、母子ともに危険
アメリカ出産思い出話~⑥人生で一番痛い
アメリカ出産思い出話~⑦改めて息子に対面、アメリカのおくるみ事情


緊急帝王切開での出産を経て、NICUの我が子の無事を確認し、やっとまとまった睡眠をとることが出来ました。
どうやらNYあたりはちょうど私が入院した頃から熱波に見舞われていたそうですが、外気に触れていないのでそれはよく分からず... ただ、病室の効きの悪い空調のおかげで、時折窓から"見る"だけの外の熱気を閉め切ったガラス窓のこちらでも感じさせられている感覚になりました。
結果的には、月曜日に入院、火曜日に帝王切開で出産、水・木曜日は入院生活、金曜日のお昼頃退院、という産後3日の入院期間でした。

出産の翌朝19日(水)、遂に口にすることを許された術後初めての食事は『クリアな飲み物のみ』。
この朝食が、17日(月)の朝に家で食べたマカロニサラダとシリアル以来のまる2日ぶりのやっとの”食事”だというのに、『クリアな飲み物のみ』というのも... 凄く… 哀れなもの。気分は「固形物を食わせろ!」だったけど、しかたないです。

入院中の食事は、入院患者以外の一般訪問者も利用できる病院内のカフェのメニューからオーダーして病室まで届けてもらう、というシステム。
一日3食、付き添いの夫と私の二人分が無料で提供されました。
『クリアな飲み物のみ』と指定された朝食には、メニューからアップルジュースと、ブロス(コンソメスープのような具の無い透明なスープ)をチョイス。クリア(透明)じゃないといけないってことは、オレンジジュースなんかはNGなので選択肢は限られていたけど。

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食欲以外はまだヨレヨレボサボサ。点滴や色んなもの、脚のむくみ取り機みたいなのもついて、まだ歩き回れない時だったので、食べ物も非常につまらない透明な飲み物だけの朝食+作り笑顔。


その後「クリアなもの」は解除され、お昼にはたしかヨーグルトとプルーンジュース、夜くらいから固形がOK、というかんじで徐々に普通の食事を選べるようになっていき、翌日からは何も気にせず好きな物をオーダーしていた気がします。
入院中にお通じが無いと退院させてもらえない&モルヒネは便秘になりやすい、と聞いたので、その対策のためにプルーンジュースは毎日飲んでいました。

この頃からモルヒネは終わって点滴もはずれ、痛み止めは飲み薬タイプのもっと軽いものに。
痛み止めの薬をもらう場合は、"痛みレベルのシート"にどれくらい痛いのかを示してそれに見合っただけの薬をもらう自己申告制。なんか心地悪いなぁ~もうむり!死ぬ!までの10段階くらいだったかな。
以下

Reassessing the assessment of pain: how the numeric scale became so popular in health care - WHYY

より拝借。

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こんな表を見てチェックした




話は戻りこの日の朝のこと。
朝食が取れて他に異常もなかったので、体についていた物が少しずつ外されてちょっとだけ身軽になりました。
起きあがって少しずつ歩き始めるように言われたけど、まずはベッドで起きるのに一苦労。
そりゃそうだ、腹筋は使い物にならないんだから。お腹切るって大変です。
ベッドを起こしておいて、仰向けから横向きなり、まずは脚をベッドの外へ出してそしてベッドの手すりにしがみつきながら上体を起こして... 普段の生活でも意識しないうちにどれだけお腹の筋肉が役に立っていたのか、はじめて実感しました。

見聞きしたところによると、日本は通常の出産でもしばらく入院して、その間に赤ちゃんのお世話の仕方を教わるような、指導の時間も組み込まれているようで。
でも、私が経験したアメリカでの入院にはそのような「では、今日は今からこの練習をします。これをお教えします。」みたいな時間は無かったです。
時々病室にやってくるナースが、「何か困ったことはない?あれば言ってね。」というかんじ。

そんな入院時期を経て、アメリカでは通常出産なら翌日にでも退院させられるようです。帝王切開だった私は、出産から3日目に退院しました。
その3日間にした事… 覚えているのは、ハラキリの痛みで直立できない体で一歩一歩廊下を進み、数時間おきに自分の病室とNICUを往復して、我が子を抱っこし母乳を与えに行っていたこと。
噂では欧米人は骨盤のつくりが私らのとは違うとかで、お産直後でも早期にスタスタ歩けるもんらしいですが(ほんとか?)、マックスまでいきんどいて腹切りしたアジア人の腹腰まわりはボロボロであります。
出産翌日の朝、まだ点滴が私に繋がっていた時は"ガラガラ"(点滴をぶら下げておくヤツ)を押しながらNICUを往復したけど、ガラガラにしがみついてカメより遅い足取りでした。

我が子に会うため、「母ちゃん来たよー。起きてるかなー?ネンネかなー?」と通ったNICU
幸い息子の経過は順調で、会いに行く度に小さな体についていた呼吸器や点滴などのコードも減っていました。
つきっきりで息子のお世話して下さるスタッフさんから、元気な状態である事を聞いて安心。とても優しくて親切なNICUの看護師さん達には、赤ちゃんの抱き方、ゲップのさせ方、スワドル(おくるみ)の巻き方や沐浴の仕方など、たくさん質問して教えてもらいました。

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NICUには個室の授乳室もあったので、そこで親子三人ゆったりと過ごす静かな時間が幸せだった。



こうしてゆったり過ごしつつ、歩くのも何をするのもそんなスロースピードなので、NICUまで行って授乳して帰ってくるだけでもそれなりの所要時間。
それ以外の時間には痛み止めの薬を貰ったり、血圧などのチェックでナースが回ってきたり、ご飯の時間になったり、母乳の出が悪かったのでマッサージをしたり搾乳機を借りて絞ってみたり、とそんな事をしていたら一日、そして三日間の入院なんて想像以上にあっという間でした。


あともう二つ。
一つはアメリカでの出産の入院中に必要なのが子供の名前。
退院までに、名前の届け出をして&出生証明書を貰うための書類を病院に発行してもらわなければなりません。
我が家は、性別は産まれるまで知らないようにしていたので、出産時期に先駆けて男女2パターンの名前を決めており、そのうちの男の子用の名前を変更なく予定通り登録しました。

もう一つは、子供の保険登録の手続き。
日本のような皆が自動的に受けられる健康保険の制度がないアメリカでは、個々が保険の調達をします(職場が保険を用意してくれる場合は仕事を通しての加入。用意がない場合は、個人が保険会社から直接購入するかたちで加入します。)
産まれた子供分は、夫が保険会社と何度もひっきりなしに連絡を取ってくれて(アメリカでこの手の事は、あれこれ時間と手間がかかる)加入手続きをしてくれました。
退院してもまたすぐ新生児の定期健診が始まるし、子供に万が一のことがあった場合に対応できるよう、速やかな加入手続きが必要なのです。


そんなこんなをして過ごした産後3日。
愛おしい我が子に会うため、そして出が悪いものの少しでも与えられるものがあるのならと絞り出した少量の乳を携え、笑うのも痛いハラキリの体でNICUを往復したこと、
名前と保険の登録にあくせくしたこと(とくに夫が)、
カフェメニューから注文した、ベジタリアンバーガー(豆製品のパテが挟まっている)がなかなか美味しくて夫とリピートしたこと、
そのバーガーの中に挟まっている野菜の内容(トマトやオニオンがあったりなかったり)や、横のピクルスやケチャップがついてきたりついてこなかったり... が毎回違っていたのが"consistently inconsistent"で、そのテキトー具合が面白かったこと、
クレームまで入れたけど病棟のそのあたりで故障があったらしく、いつまでたっても効きが悪かったエアコンのこと、、、

そんな思い出が詰まった、産後の入院。
私の体の方は経過も良いとのことで、このまま間もなく退院です。
引き続きNICUにいる息子が同時に退院して一緒に帰宅できるかどうかは、退院当日朝の検査結果しだい。

次回に続く。。。

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