たちまちWASABI

NYC郊外暮らしラプソディ~アートと自然と一緒に

オマケの人生74年

この8月のはじめで、私は渡米7年。

日本で社会人をしたのちの正規留学生として、学生ビザを持ってアメリカにやって来た。

 

実家から出発の日、当日の朝までダラダラバタバタと大嫌いな荷造りをして、最後にほんの少しだけ祖父母としばしのお別れ前の談笑をしていた時のこと。

 

実家で一緒に過ごした祖父母にはめっきり弱い私。

自分で決めて準備したことながら、高齢の祖父母からとても遠いところに行くのかと思うと、そして「まだまだ長生きしてね!」と思うと(だって、次に帰国できる時まで元気かなとか考えると…ね、)、どうもメソメソとなってしまっていた私に祖父母が言ったこと。

 

「ワシのことなんか気にせんでええ。この歳まで生きれとるのがオマケなんよ。」

と、その昔、戦時中は飛行機で満州にも飛んで行っていた祖父が一言。

 

その横で、広島の原爆を生き抜いた祖母が、

「ほうよね。ウチら原爆で死んどったかも知れんのが、生きとるだけのことよ。」

 

って、二人揃って笑顔で。

この会話はいつ思い出しても心が熱くなってしまう。

 

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74年前の今日の広島には原爆が投下され、その3日後には長崎にも。そして終戦

その当時の話は、祖父母から色々聞いたけれど、そんな時代に人はどんな気持ちで生きていたかとかどんな大変な思いをしたかとか、私の想像なんて到底及ばない。

 

原爆の話を聞くとき、祖母は言っていた。「何もわけが分からず、とにかく食べるものを見つけて生きることで精いっぱいだった」と。

 

人は戦争や殺し合いのような残酷なことをやってしまう生き物だけど、

例えば広島の復興ぶりや、時代に翻弄されながらも生きてきた人達のことを思うと、互いに協力しあい逞しく生きられる生き物でもあるはず。

 

誰もがその命を全うできる世であってほしい、ただそれだけ。